最初に被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。そして各方面よりお見舞い・励ましのメールや電話をいただき大変感謝しております。

幸い私の家族・家などに被害は少なく(家のカベにヒビが少し入った程度)今では普通の生活に戻ることが出来たことを報告いたします。

本来であれば一つ一つのメールにもお返事を書くべきなのですが時間もありませんのでWebページという形での返事とさせていただくことをお許しください。

今回の地震についてはTVや新聞での報道でご覧になったと思いますので地震発生直後からの簡単な手記を書いてみました。

体験談

10月23日 17:56突如として大きな地震発生。この時普通に仕事を始めており(飲食店)丁度これからお客様が来るという時間帯。予約のテイクアト料理を作っている最中。電気も止まりすべて真っ暗に・・ あわてて5箇所使っていたガスを止め元栓を閉めた。

なにが起こったのか解からないまま懐中電灯(運良く近くにあった)を持ち、テイクアウトのお客様に「すみません、出来たものだけで・・・」と願い、2人いた従業員もすぐに帰ってもらった。(それぞれ家族が心配) その間も頻繁な大きい揺れ・・・とにかく恐怖心で心臓もドキドキしっぱなし。

こんな時こそ冷静にと自分に言い聞かせ家内と外に出る。幸い店内の食器なども無事で棚から落ちたボトルも1本だけ。 当地区のガスはLPGのためガスタンクを地上に設置しているがコンクリートの壁に頑丈な固定をしているため被害はなし。震度5以上ではセンサーが働き元をシャットアウトしているので安心。

キッチンも9年前のオープン時に施工した業者が良い仕事をし、すべての機材(冷蔵庫・ガス台・食器棚など)には耐震金具で固定されていたため転倒などせず助かった。

18:05自宅に戻り80歳近い両親を外に誘導(母は足が悪いため早く動けない)。その時2人の子供がまだ帰っていないのに気づく。この日長男(高3)はセンター模擬試験のため学校、次男は友人宅に遊びに行っていた。18:10頃、真っ暗で時々揺れている中、自転車で2人とも無事帰宅。

その後すぐ今回2回目の大きな揺れ。長男と祖父が家の食器棚を必死で押さえる。この時点では大きな地震があったことは確かだがどこが震源地か?規模や被害の状況は解らず。

家内はリュックに貴重品(わずかな現金・通帳・などなど)を詰め背中に。

とにかく家の中は危険なので外に出てクルマを広いところに止め2台に分乗し車内でラジオを聞きながら過ごす。 近所の人たちも同じようにそとに出てクルマの中で暖をとっている模様。この日は天気もよく放射冷却で朝方は5℃まで冷え込んだ。寒いので家まで毛布を取りに行き深夜までカーナビのTVを見る。

このとき初めて被害の大きさや震源地など具体的な情報を知った。TVで見た被害の大きさに恐怖心が大きくなっていく。揺れは頻繁に発生・・とにかく怖い・・・ 2人の子供は車内で家から持ち出したギターを元気よく弾いていた

寒さも厳しいのでクルマのエンジンは回したまた暖房していたが 倉庫に古い石油ストーブがあるのを思い出し電気が無くても暖房が出来ることがわかり深夜12:00頃お店に移動(平屋で落ちてくるものも無いので少しは安全かもと思い)家族6人毛布にくるまり揺れが続く真っ暗な中 朝まで過ごす。

しかし恐怖のため眠れず。遠くで地鳴りが「ドドーッ!」すると大きく揺れるというくりかえし。まだ電気は来ない。

深夜1:00頃従業員の一人がクルマで走行中震源地の小千谷市で地震に会い無事ではあるもののクルマでの移動が出来なくなっているとの電話が入る。道路や橋、トンネルすべて壊れ信号は折れ曲がり電柱も倒れ道路には倒壊した家が・・どうにか無事避難所には移動した模様。

24日朝 5℃近くまで冷え込んだ。電気はまだ来ないので次男が学校で作ったラジオを聴きながら過ごす。ストーブの上でミルクを沸かしおにぎりを作って朝食を取った。この時までに体に感じる地震は320回を超えたとの報道。しかし揺れの回数も少しずつ減ってきたので疲労がたまった両親は家の中に戻る。

震源地の小千谷市で地震に合った従業員は通常30分で着く距離を日本海側まで迂回し5時間かけて無事家に着いたとの連絡をもらう。とにかく良かった。 電気が通じず携帯も自宅の電話も混線しているようでほとんど通じない。ただ子供たちは携帯のメールでアチコチと連絡をとっていた。(25日になったらほぼ回復) ディスクトップPCも使えず Webにも接続できない(これは30日になってもまだ復旧せず)

24日 昼近くに電気が来た!冷凍冷蔵庫の中が心配だったので助かった。すぐにTVを見ると被害の大きさにあらためて驚く。とりあえずL型の金具を買ってきて家中の家具をカベに固定した。 この日も自宅には入れず家族6人お店で過ごした。

25日 クルマで行ける範囲では「堀の内町」なので町役場にボランティアの申し出。炊き出しなど可能と伝える。しかし救援物資は足りているとの返事。夜になって揺れも感じないようになったので家族全員久しぶりに家で寝た。 電話もほぼ回復し知人などからお見舞いの言葉を多くいただく。とりあえず無事を伝えることが出来た。感謝。

26日 十日町市までの道路が通れるとの情報を得たので十日町市役所のボランティアの申し出をしたが物資も足りているとの返事で、とりあえずお店で待機。23日の地震で店内のこぼれたスープなどの片付け掃除をした。 この日の夜も揺れが少ないので家で寝たが夜中に大きな揺れが3回ほどあった。2階なので揺れも大きい。

27日 前日から降り始めた雨が強く朝方の冷え込みも厳しい。家から見える標高1000mほどの山に初雪が降り苗場の山頂も白くなった。 日にちが経過し大きな地震も無いことを願い営業再開することにし朝から仕込みをする。 しかし10:40ころ震度5強の強い地震が発生!小千谷市では再び建物の倒壊があった模様。 またまた営業どころではなく(危険なためガスが使えず)家族全員で屋外に避難、その後お店の中へ逃げ込む。 幸い今回は停電にならず暖房も取れている。 この日の夜は余震が2回あった程度。夜中は静かに眠れた。

28日 朝2℃まで冷え込みクルマのフロントガラスが凍っていた。厳しい寒さ・・・ 余震も大分少なくなってきたので今日から営業再開の予定。

29日 この日も大きな余震は感じず営業が出来た。

30日 この日は雨も強くなり厳しい状況。報道によると川口町の地震計が震度7を記録していたとのこと。この地域の家屋倒壊はものすごい状況で国道17号線のトンネルも崩れている。 クルマの中で避難生活している人の中で静脈血栓による肺塞栓で死亡するケースが発生している。避難生活を余儀なくされている方 約77000人 今後必要な家5000戸以上とも・・被害者の方々はいつになったら普通の生活に戻れるのだろう? 一方、被害者をねらった詐欺事件も発生。悲しい。

31日 本震発生から体に感じる地震は約600回を数えるとの新聞記事を読む。被害の大きかった「山古志村」近くに住む長男の同級生兄弟2人を一時的に預かることにした。(ボランティア) 家は芋川流域にあり非常に危険な状態で土砂崩れに雨も加わり自然に出来た大規模なダムが出現。この下流にある堀の内地域に住んでいる。もし自然に出来たダムが決壊すると高さ6mにも及ぶ土石流の可能性もあるらしい。両親は避難所での生活をしているが地域のために離れることが出来ないとのこと。とにかく家が無事であることを願う。

11月1日 今日で10日目。朝方4:30ころ震度4の余震発生・・それ以降眠れず・・ 少しずつ通常の生活に戻れる方もいるようだが 未だ6万人が避難所生活。毎日寒い体育館などでの雑魚寝 精神的・肉体的に限界が近づいているのではないだろうか?

11月3日 文化の日ということで例年行われていた町のイベントも地震の影響ですべて中止。ほとんど被害の無かった湯沢町では紅葉のピークを向かえ温泉旅館は連日満員の季節なのにすべてキャンセルとなっているようです。これによる損失は一日10億円とか・・

11月4日 朝8時57分大きな余震発生。震源地は震度5強を記録!また水道管の破損や新幹線の運休・高速道路も通行止めになってしまった。私の家でも体感としては震度4くらいに感じた。まだしばらくは安心出来ない日が続きそう。

11月5日 16:00関越高速が開通したとの報道を聞く。しかし路面がうねっていて速度制限50km/hがしかれたままである。

11月6日 朝3:00過ぎに余震があり目が覚める。2週間経つのに収まる気配が無い。この日夜10:05にも余震発生!この日の体感出来る余震は13回・・・こんな状態が続くので夜になるとクルマの通りも極端に少なくひっそりと静まり返っている。

11月8日 今日も11:45ころ大きな余震!その後も数回の揺れを感じる。どうしても最初の本震を思い出してしまう。いつ大きな余震が来るかという恐怖はしばらく消えないだろう。被害の大きかった地域の皆さんが一日でも早く普通の生活を取り戻せるよう願っています。

11月8日の午後遅い時間にようやくWebに接続出来た!接続出来なくなってから17日目の出来事。YahooBBの復旧はあまりにも時間がかかり過ぎた。これを機会に災害時でも影響されにくい環境を構築してほしいと切に願う。

家庭での地震対策

★家屋の補強・家具の落下・転倒防止  消火器や消化用水の準備

★非常持ち出し袋等の準備

★お年寄り・子供の非難補助役は?

★避難経路と避難場所の打ち合わせ

★家族間の連絡方法・避難場所の統一

★停電やライフライン切断時の方法(水・食料・防寒対策など)

★非常時の持ち出し品の例
(ヘルメット・防災頭巾・2-3日分の食料品と飲料水・衣類・手袋・懐中電灯・ライター・ロウソク・ラジオと乾電池・ナイフや缶切・
救急衣料品・毛布・現金・預金通帳・印鑑・メガネ・などなど)

_______上記以外にも我が家では以下の物を用意しました________

★非常用エンジン発電機(100V 21A)・クルマのシガーライターから携帯電話に充電出来るアダプター・
   カセットボンベのガスコンロ・ランタン・石油ストーブなど。

 

 

地震発生の翌日空には不気味な雲・・・
次男が学校で作ったラジオ。これでもちゃんと聞こえて情報収集に役立った。
美しい紅葉も今年は楽しむことが出来ず・・・11月1日撮影
平成16年10月23日 新潟県中越大震災